カラッポがいっぱいの世界

Greed makes the city shine brighter. 날 좋아하는 분들 내 사랑 먹어 東映映画と特撮

ザ・サスペンス「消えたスクールバス」

真面目な話の後で恐縮だが、ザ・サスペンス「消えたスクールバス」である。

大映ドラマがその持てるポテンシャルを全て投入したと思しきTBS放映の二時間ドラマ、それがザ・サスペンスである。内容は、後味の悪さ、演技のねちっこさ、ストーリー展開の奇妙さ……と、どの作品も大映ドラマエッセンスを煮詰めたような塩梅で、みている人間にたまらない居心地の悪さを提供してくれる。

TBSのCS放送で現在時折放映しているのだが、見る前にどんな話なのか検索をかけてもあまりひっかからない。何作かが「後味の悪い話まとめサイト」にあった気がする。そのため備忘録的に気になった作品をネタバレ全開で書いていきたい。

ということで「消えたスクールバス」です。1982年、榊原郁恵初主演作品。初主演でこれっていうのもなかなかハードル高いというか、烙印というか…。どういう話かというと…。

【ストーリー】
幼稚園のスクールバスが乗っ取られ、運転手と10人の園児が誘拐された。犯人は園児ひとりに対して一千万円の身代金を要求してきた。この卑劣な犯行を警察に通報すべきだと主張する保母の里江子(榊原郁恵)は、父兄たちに吊し上げられ、あげくのはてに園内の物置に軟禁されてしまう。父兄たちは、犯人が金の引き渡しを指定した翌朝11時までに、それぞれ一千万円を工面することを決め、走りまわる。里江子はやっとの思いで恋人の田代刑事(赤塚真人)に事件を通報し、警察が園に乗り込んできた。余計なことをしたと父兄にののしられる里江子だが、警察の介入を知った犯人はやがて運転手を殺害する…。(公式サイトより引用)

www.tbs.co.jp

 

 

この手の誘拐モノ、例えば特捜最前線なら「犯人の出自背景、そしてなぜ東京に流れ着いてこんな犯罪に手を染めたのか」をじっくりがっつり描き出して、ストーリー上どっちかというとそっちがメインになってしまう(そして社会の無情さ、酷薄さが浮き彫りになる)と思うし、西部警察だったら犯人との交渉、そして団長渡哲也の無断で勝手に園児と交換で人質となった舘ひろしと犯人とのやりとり(たぶん舘は半死半生の状態で「あんたも…こんな状態でどうすんだよ…」などと玉の汗をかきながら犯人の気持ちを解きほぐす)焦れて強行突入を急ぐ他の警察を制止して「あいつを待ちましょう」と告げる団長、なんだかんだで犯人無事確保、タンカにのせられて救急車に運ばれる舘に団長がよくやったとばかりに頷く…というような流れになると思うのだけれども、そこは大映ドラマなので、話の三分の一ぐらい「身代金をめぐる父母らの醜く切実な姿」を描くことに費やす。ここがもう、後味悪くてたまらない。

身代金を用意するために、園児一人当たりの金額を算出する。その割り当て分を必ず調達しなきゃならないため、それぞれの親が駆けずり回る。で、まあフツーに金満家の祖父が「金ならいくらでもやる!その代わり無事に⚪︎⚪︎を取り返すんだ!できなかった時はわかってるな!」と父親に小切手ぶん投げる(っつっても、父親もそんなこと言われても困るよなあ)ところとかもあるんだけど、例えばある母親は別れた夫のところにいき、割り当て分を出してくれるように頼む。が、前夫にはすでに家庭があり「そんな大金を今の妻に知られずに出すことはできない」と断る。すると母親は「私はね…子供を守るためになら鬼になります。あなたの新しい奥さんにあなたのこと全部話す!」と脅かして金をせしめる。この前夫の話はこれ以降特に出てこないので、脅されるような「こと」がなにかは視聴者にはわからない。ただこの醜いドロドロとした必死さだけを突きつけられる。

またある夫婦は町工場で働いていて工場主に借金を申し込むのだけど、零細極まりない町工場なので断られてしまう。そのまますごすごと幼稚園に向かうと他の園児の親からつるし上げを食らう。「あんたのせいでうちの子が死ぬことになる!金を用意できないお前は人殺し!」ぐらいいうんですよ。で、そういう押し合いへし合いしてギャーギャー騒ぎまくってもみくちゃの状況で(父母の一人は八百屋の帽子を終始着用したままだったりする。いやそりゃ大変状況なのはわかるけど帽子ぐらい…)、警察に通報しようとした榊原郁恵は、逆上した親たちにとっ捕まって物置に拉致監禁される。郁恵は、スクールバスに乗らなかったことによって一人難を逃れた園児に、恋人の刑事へ連絡を取ってもらうよう頼むのだが、園児は母親とともに自宅に帰る。だがなんとか抜け出してパジャマ姿で彷徨しているとおまわりさんに見つかり、なんとか恋人の刑事と連絡を取ることに成功する…んだけど、その母親と自宅に戻るシーンがまたアレで、母親は彼氏?とイチャコラしたいために園児のいうことを一切聞こうとせず、叩いたりして早く寝かそうとする。なんでここでもクズ描写を…。このドラマは隙があるとこの手のクズ描写をねじ込んでくるので、まったく気を許せない。

恋人の刑事は上司のおやっさん(こと小林昭二)に報告、そしておやっさんはさらに上に話をあげて、対策本部を作り、幼稚園に乗り込む。警察に知らせたら子供を殺すと犯人から電話を受けていた親たちは騒然とするが、そこへさっそうと乗り込む神山繁神山繁が登場したらもうサクッと事件は解決すると思うじゃないですか!ところが、このドラマにおける神山繁は無能の極みなので、盗聴を仕掛けたら犯人に丸わかりで馬鹿にされ、現金の受け渡しと見せかけた警察の網は徒労に終わり、追跡した犯人には一人捕まえるも結果的にはまかれ、事態はひたすらに悪化し、抜け駆けして犯人と取引をする親(角野卓三が小市民的悪人を好演)が出てきたりして、さらなる泥沼へと転がり落ちる。しかしこんな無能な神山繁は初めて見ましたわ。怜悧な役を演じたら右に出る者がいない人なのに、そんなのかけらも発揮されないままでした。

そのあと犯人グループの一人が捕まったり、郁恵が犯人側に拉致られて園児とともに人質になったりするのだけど、恋人の刑事がよりによって取調室で犯人グループの一人に発砲し、居場所をはかなきゃ殺してやると脅しをかけることでなんとか割り出し、あわや郁恵もろとも全員殺されかけてるところをなんとか救いだすも、最後は恋人の刑事がお縄になって、郁恵が「私は待ってるわ〜」とかパトカーのテールランプに呼びかけるか何かしてスタッフロール。なんだこれ!それでいいのか!と唖然としたままぶった切られる。すげーなあおい。

結局犯人は角野卓三で、その理由も「実は(誘拐した子供は)自分の子ではなく、妻が他の男と浮気してできた子供だった。憎い子供を殺してついでに金をせしめて高飛びして別の所で新しい家族つくってやり直すためにこの計画を思いついた」という、はた迷惑きわまりないものだった。理由もクズけりゃ、結末も後味が悪く、当時お茶の間でこんなドラマを消化できていた昭和の人々の胆力と胃腸の丈夫さに驚きつつ、これぐらいの破壊力のある2時間ドラマ、もう一度みたいなーと思ったりもしつつ、いやーすごいドラマです。

これ、事件解決したあと幼稚園内の人間関係が完膚なきまでに破壊されてしまってるので、全員幼稚園やめるしかないよなあ…。園児たちの命が助かったのはいいけど、あんな解決の仕方で、しこりどころの話じゃないわけで。この他、不注意で園児を死なせてしまった幼稚園教諭と死んだ園児の父親とのラブロマンス()が展開されたりもするんだけど、こんな重い話すら、物語が進むにつれて重力加速度が増すこのドラマ内では、清涼感ある刺身のつまの箸休め的なニュアンスもあるぐらいで、まあとにかく胃もたれどころかしばらく精進料理で過ごしたくなるようなドラマですが、興味ある方は、ぜひ。

沖縄戦における、ある体験談について

私の友人に沖縄在住者がいる。来訪した際に幾度かそのご家族から沖縄戦にまつわる話を聞いた。それを文章化したものを以前にもWebにて発表したことがあり、先日その内容をざっとTwitterに書いたら、意外にも多くの方がRTしてくださったようなので、再度こちらにも掲載したい。この話を私にしてくださった友人ご尊父*1には心からお礼を申し上げる。

*************

(友人から)聞いたと思うけど、ボクの姉がね、ひめゆり部隊にはいったんです。参加するちょっと前に近所に住んでいた人がせっかくだからと家族写真を撮ってくれてね。それが唯一の皆がそろった写真となってしまった。不思議なことにね、姉はユタ*2にね、姓名判断してもらったときに、10代で水難の相がある、といわれたよ。残念なことにその通りになってしまった。*3母はずいぶん悲しんでね、慰霊碑には一字多く彫ってもらってあるんだよ。

今日、平和の礎にいったの?あそこに多分姉の名前もあると思う。(姉のことは)もうずいぶん記憶から薄れてしまったけれど。

あのとき…沖縄に米兵が上陸したとき、ボクらは、北へ、山へ逃げたんだよ。父が女学校の校長をしていたから、それでツテのある先生のところへいこうと叔父からなにからみんなで逃げた。隣近所の人も、その頃になったらもうみんな逃げてたけど。

昼間は米兵が活動するから、夜逃げてね。山道の、荒れた道で、右手は崖のようになっていて、崖下は川だったと思う。父がいった「土手を左手で触りながら歩け」というその言葉を守ってね。父はその辺りをよく行き来していたそうだよ。だからある程度はどんな道かわかっていたみたいで、ボクらは父の先導の元なるべく急いで逃げた。雨が降ったりしてぬかるんでいて細い道。ずいぶん歩きにくかったよ。ボクは父の靴だけみて歩いた。我々を追い抜いていった夫婦が、カーブしている道をそのまま突っ切ってしまい、女の人が――赤ちゃんを抱えていたなあ――あっという間に足を踏み外して落ちたんだよ。立ち止まって「オーイ」と声をかけたら「大丈夫だよー」と返ってきたんで旦那さんだけ残して先を急いだ。でも気持ちとは別に足はすすまない。暗くて怖いし道は悪いし。

時折、米軍の照明弾が炸裂して、ものすごく明るくなる。そのときはソレッと駆け出す。それでずいぶん距離を稼いでね。後はじりじりとすすんだ。昼間は集落が捨てた壕の中や、ガマっていう洞窟みたいなところで隠れて休んでいた。ある日いつものように壕で休んでいたら、叔父が真っ青な顔して駆け込んできた。「アメリカーが来(ち)ょーん」*4といって。当時叔父は警察官をしていてね。それなのにおかしなぐらいぶるぶる震えて、どうにもならないくらいだった。続けて父がはいってきた。同じく音がするんじゃないかっていうぐらいぶるぶると震えていたよ。食料を探していたら、パンパンと銃を撃つ音がして、がさがさと英語らしき話し声が聞こえたそうだ。叔父は機転が利くからわざと全然別な方向へ石を投げて、米兵の話し声が聞こえなくなってから、ゆっくりと歩いてもどってきたそうだ。そんな近くまでもう米兵はきていたんだね。あんな二人の姿、後にも先にも見たことがなかった。しばらくしたら銃撃がはじまった。それが日本兵と米兵の戦闘なのか、米兵が捜索のためにわざと銃を撃っているのか、それはわからない。激しい銃声だった。壕の入り口は木の枝かなんかでカモフラージュしていたけど、硝煙が壕の中に充満してきて咳をおさえるのに必死だった。音を立てたら見つかるかもしれないからね。この壕にはボクたちの他、家族に取り残されたおじい*5がいたけれども、このおじいさんは耳が凄く遠くて、突然大声を発することがあった。だからボクはこのときおじいさんの口をふさぐ役をしていた。「おじいさん声を出さないでください」と。やっと米兵が引き上げてようやく静かになり。日が暮れるのを待ってボクらは壕をでて山奥に向かった。そのおじいさんがどうなったか、わからない。

避難地まで逃げる途中に、おかしな兵隊さんに会ったなあ。上半身は裸で、帽子だけして、手製のヤリみたいなのを肩に担いで、そこに上着なんかをぶら下げて歩いていた。沖縄出身だと言ってその人は歩きながら、「このヤリで米兵を5人殺した」って話してたよ。「二人は池の中で、短刀で刺して殺した。後の3人はヤリで殺した」短刀ももっていて、服も濡れていて、ホントみたいだったけど、でもちょっと話が出来すぎているので怪しいなと思った。米兵をやっつけた証拠があるから、それを見せて、この大東亜戦争が勝利した暁には、ゼッタイに偉くなるんだ、っていってたなあ。その人は一生懸命父に「自分が生まれた村はまだ安全だから一緒について来い」っていったけど、なんだかアヤシイからね。父は断って知り合いの先生のいる避難地にいったよ。あの人はどうしたかね。

ようやく知り合いの先生のいる村についた。山奥でね。先生は山の中のくぼ地に、壕――掘っ立て小屋みたいなのを作ってくれてね。ボクら――家族親類縁者含めて13人ほどだったかねえ――はそこで暮らすことにした。食料はないけど、比較的落ち着いて過ごすことが出来た。でも腹は減ってねえ。ほらあそこにある大きな葉っぱわかりますか?(とご尊父は庭にあるハート型をした葉を指差した。かなり大きい。)あれね“食わず芋”っていって芋ができるんだけど食べられないのですよ。いまはああして見事な葉ができるものだから、観賞用として庭に植える人が多いけどもね。もう腹が減って仕方なかったボクは、食わず芋っていうけど、ひょっとしたら食べられるんじゃないかって掘って食べたけども…あれは蒸したかなんかしたかねえ、一口食べたらもう吐いてしまって大変だった。私の母がね、その村でいちばんの年寄りにね、どうしたらいいですかって聞いたらね、黒糖と豚の脂を混ぜて丸薬みたいにして飲ませろ、とこういったよ。どういう作用かその辺がボクにはよくわからないのだけども、飲んだらね、不思議とよく効いたねえ。

そのお世話になった先生は動物を飼っていてね。馬とかヤギとか。あるとき、日本兵が村に来て、馬をだせ、と、こういうんだ。現地徴用すると。仕方ないから渡してね。馬を連れて日本兵が去ったあと、銃声がしたよ。恐らくは馬をつぶして食べたんだろうねえ。その先生は、もうこうなったら自分たちで食べてしまおうと、残った山羊をつぶしてボクたちにもってきてくれた。ところがこれが困った。ボクのウチはご先祖からの言い伝えで、山羊を食べてはいけないといわれていたんだね。なんでもご先祖様は山羊に助けられたことがあるから、その恩返しに、とそういう誓約をしたらしいんだけれど。*6家族で悩んでね。食べなきゃ死んでしまう。でも食べたらご先祖様に背く。そしたらね、父がうまいことをいったんだよ。「確かにご先祖様は山羊に助けられた。でもいまだってそうだ。これを食べることでわしらは助かるんだ」と。上手い言い訳といったらあれだけれども、ともかくそれをボクらは食べて、助かった。

集落の回りを米兵たちが囲んでいるのだろうということはわかっていた。投降する人びとも増えてきた。時々食料を交換した村の人びとの中で戦局に詳しい人がいて、どうみてもダメだろうといっていたそうだよ。でも非国民と呼ばれることをおそれて父たちはどうしても簡単には投降できなかった。その頃になると米兵とも交流があってね。食料をねだったり、彼らが捨てるために埋めたモノをまた掘り返したりして食料を賄ったりしてた。ボクもよく掘り返してねえ。でも掘り返したら米兵達が用を足した後だったりしたことも幾度もあったよ。ただもうそのうち食料はどうしても底をついてきた。父たちは話し合って、余力があるうちに投降しようと。でもこれは本当に恐ろしいことだった。もし日本が勝ったらボクたちは大変な反逆者になってしまう。今の自分たちがどのような状況におかれようとも、なにしろ日本が負けるわけがないと思っていたからね。必ず本土から応援が来て戦局が好転するに違いないと信じていた。でも幾晩も話しあって、このままじゃみんな死んでしまうからどうせ死ぬなら米兵のところにいって死のう、ということになって、付近で同じように隠れている住民と一緒にみんなで、村長さんが白旗を掲げて、山を降りたんだ。たしか7月の…初旬頃だったと思う。

空が青かった。本当に、青かったよ。

*1:ちなみにご母堂からは対馬丸疎開する予定だったが土壇場で乗らないことになったら…という話を伺った

*2:沖縄特有の女性霊媒師占い師

*3:ひめゆり平和祈念資料館の記録を読むと、避難中摩文仁の海岸付近にて波にのまれてしまったらしい

*4:沖縄方言で「アメリカがきている」という意

*5:沖縄方言で「おじいさん」という意

*6:沖縄は先祖崇拝が非常に強い土地柄である