カラッポがいっぱいの世界

Greed makes the city shine brighter. 날 좋아하는 분들 내 사랑 먹어 東映映画と特撮

「レギュラーSHOW」「おかしなガムボール」……海外製作アニメにみるPC事情的あれこれ。

「レギュラーSHOWこりない二人」というアニメが抜群に面白い。
80年代に郷愁を感じる人間なら、よりたまらない作品なんじゃないか。

「レギュラーSHOWこりない二人」なまけもので公園の管理の仕事をしてる鳥のモルデカイとアライグマのリグビーが、いかにして失敗をごまかそうか、仕事をサボろうか、と悪戦苦闘する日常を描く15分アニメ。基本的なストーリー展開は、モルデカイ&リグビーの主人公コンビがなにかをやらかす(彼らの上司や仕事仲間がやらかすこともアリ)→その失敗をどうにかしてごまかそうと行動にでる→宇宙の神秘が!、と書いているとなんのことだがわからないと思うが、本当にこういう展開なので、ありのままみたままを語るとこうなります。例えばカートを壊してしまったが無料修理期間が明日までなので急いで代理店まで出かけるも、主人公コンビが途中寄り道して朝までゲーセンしてしまい、間に合わせるためにアメリカいち危険な道路(道が荒れてるとかいうレベルじゃなく、断崖絶壁やなぞの生物に襲われたりする)をいく羽目になる……といった具合。

ここに、80年代的エッセンス(ゲームが明らかにファミコンで荒いドット絵だったり、襟足ながいリーゼント短パンや、テレビはもちろんブラウン管だし、音楽はカセットテープとラジカセだろ)をぶちまけて、アクションとパロディを加え、ほろりとさせ、ときにブラックな、そして人生の苦味を感じさせる結末で〆る。
基本的にバカ男子(ゾンビ映画?もちろんサイコー!)の話なのだが、その手の話にありがちなホモソっぽい展開も特になく、ナンパして女の子の電話番号をゲットしよう!という賭けをやったときには、女はいい車を見たらよってくるだろ、というような主人公たちの思い込みは、車がよくたってあんたらの車になんか乗らないよ、という展開にしていて、PC的なひっかかりがないようにしている。いろいろありながらも結局は好きな女の子からしか電話番号は教えてもらえない、というオチにしていたり、女なんてこんなもんだろという偏見を必ず打ち砕くような話になっていて、ストレスがない。
普段はなまけててロクデナシの主人公コンビが不正や友人の危機に立ち上がり、いつもはいがみあってる公園管理仕事仲間たちが一致団結して敵に立ち向かい、勝利を収める。友情!努力!勝利!バイオレンス!アクション!パロディ!笑い!感動!が15分という短い時間の中にギューギューに詰まっているんだけど、不思議と押し込んでる感がしないのは、おそらく、スカスカの背景とヘタウマ調のイラストレーションのおかげもあると思う。エッジのたったキャラに頼らず、ストーリーでしっかり見せるというのは素晴らしい。子供は素直に笑って、親は80年代小ネタにくすぐられ、結果的にで親子で楽しめる内容になっている。私も子供に付き合ってみていたらいつの間にか爆笑させられていたクチでございます。

それにしても、こういう「PC的にオッケーなアニメ」を子供に、という流れは海外展開する際の必須となりつつあるのかな。日本だと女児向け(といいつつ大きなお友達も網羅してるような)アニメだとひっかかるところとかあったりするけど、カートゥーンネットワークで放映されている海外アニメはそういうのを感じたことが(あまりというか記憶にある限り)ない。例えば“カートゥーンネットワークトムとジェリーを超えた人気(番宣より)”を誇る「おかしなガムボール」は、『「天才バカボン」を21世紀のアメリカでアニメ化するとこうなる』というような内容で、主人公ガムボールのパパは働かず文字通り「遊んで」暮らし(父親が仕事をすると宇宙に巨大なゆがみが生じるという設定つき)、ママが働いて一家を支えている。妹は天才児で幼児だけど飛び級?してガムボールと同じ学校に通っている、なんてまさに「アメリカ版天才バカボン」だと思うんだけど(あとはペットの金魚から自力で進化して足を生やした「ダーウィン」というのもいる。)パパや近所の人やクラスメートやあるいはガムボール自身が引き起こすおかしな出来事に巻き込まれ、巻き込み、ドタバタというかスラップスティックコメディが繰り広げられる。爆発的な「はちゃめちゃさ」は「アドベンチャータイム」が教訓話に思える程だ。ガムボールとママは青い猫で、パパと妹はウサギで、自立進化したダーウィンは養子のような状況でこのあたりの家族設定もたぶんにアメリカの現在を反映しているように思えるし、PC的な考慮を感じる。今日見た話は「妹が過度にストレスを溜め込んでいると診断され解決策として『正しい家族のあり方』、父親は仕事をし母親は家の中にいてガムボールたちは清く正しい少年像を求められる」というものだった。当然のごとくそれは破綻し、最後はみんながやりたいように家の中をめちゃくちゃにして終わる。ジェンダーがいかに不自由なものかを訴えていて痛快だった。)
ガムボールのパパとママの関係は、「クズ男を養ってるバカ女ww」的にアレな保守派が草はやしそうだけど、二人とも自己を卑下しないし、お互いを責めないし、ありのままで仲良く暮らしている。(パパが仕事して宇宙がおかしくなりそうなとき、賛成する子供たちに対してママは全力で止めにかかっているくらい)関係も対等だし、男だ女だ式にジェンダーを喧伝しないアニメがアメリカでは主流 となりつつあるのだろうか。

これが日本だと「はなかっぱ」なんかは見ていて時々ひっかかるところがある。それこそ「家でご飯作って待っていてくれるおかあさん、男としてのあり方を教えてくれるおじいさん」みたいなジェンダー観が垣間見えてしまうんだよなあ。こう書くと「家でおかあさんがご飯作って待っていてくれるのは当たり前だろ、感謝して何が悪い」みたいなご意見をいただくかもしれませんが、そーいうのをアプリオリに捉えるのがどうなのよ?って話なので、あしからずごりょうしょうください。

ちなみにカートゥーンネットワークで一番イカレてるのは(今まで見た中で断言するならば)圧倒的に「おはよー!アンクルグランパ」だと思う。ビートルズの映画「イエロー・サブマリン」を連想させるような色使いとサイケデリックさで、見ていて不安になるレベル。なんかキメてみるアニメだよなあと思いつつも、幼児って基本的になんかがキマってないとできないことばっかりやってるので、ちょうどいいのかもしんない。